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UKロックのおすすめバンド。イギリスを代表するアーティスト10選
第二章:音と様式美の追求 – 70年代の多様性
2.1. 轟音の神話、レッド・ツェッペリン
1968年、ヤードバーズの残党であったギタリストのジミー・ペイジが新しいメンバーを集めて結成したのが、レッド・ツェッペリンです 。彼らはデビュー以降、メディアへの露出をほとんど行わず、コンサートツアーを通じて着実に人気を確立するという独特の戦略をとりました 。この孤高の姿勢は、彼らをロックバンドだけではなく、一種の神話的な存在へと押し上げました。
彼らの音楽は、ブルースを基調とした重厚なハードロックで、アルバムごとに大ヒットを記録し、1970年代を代表するバンドへと成長しました 。特に、1969年の『Led Zeppelin II』は、ハードロックの古典を確立した作品として知られ、全米・全英で同時に1位を記録するという快挙を成し遂げました 。そして、1971年にリリースされた『Led Zeppelin IV』は、タイトルがなく、メンバーを象徴する4つの謎の文字がジャケットに記されていることで有名です 。このアルバムには、「ブラック・ドッグ」「ロックン・ロール」、そして不朽の名曲「天国への階段」が収録されており、全世界で3700万枚以上という驚異的な売上を記録しました 。
グルーピーとの性的なスキャンダル や、リーダーであるジミー・ペイジのオカルト趣味 、そして「天国への階段」を逆回転で再生すると悪魔崇拝のメッセージが聞こえるという噂 などです。これらの噂は、皮肉にもバンドのカリスマ性をさらに高め、彼らを単なるロックバンドではなく、伝説的な存在へと押し上げました。これは、情報過多な現代とは逆説的に、情報が少ないことの持つ力が、いかに強力なブランドイメージを築き上げるかを示す好例です。1980年、ドラマーのジョン・ボーナムが急逝したことを受け、バンドは解散しました。

2025年9月26日より、彼らの歴史やインタビューを含めた音楽映画が上映されました。彼らの音楽のルーツを知りたい人は要チェックです。
2.2. 様式美の絶対王者、クイーン
1970年、フレディ・マーキュリー、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコンの4人でクイーンは結成されました 。彼らの母体となったのはブライアンとロジャーが在籍していたバンド「スマイル」で、フレディはスマイルのボーカルの同級生でした 。1973年のデビュー当初、彼らはメディアから「時代遅れ」や「ディープ・パープルやレッド・ツェッペリンの亜流」と酷評されましたが、セカンドアルバム『クイーンII』のヒットをきっかけに、次第に評価を上げていきました 。
彼らの転機となったのは、1975年の4thアルバム『A Night at the Opera』でした。オペラ、ハードロック、バラードなど多様なジャンルを融合させたこの作品は、バンドの音楽性を一気に飛躍させました 。このアルバムに収録された「Bohemian Rhapsody」は、史上最も有名な「狂気の多重録音」楽曲として知られています 。
当時のスタジオは最大でも24トラックの録音機材しかなく、クイーンはボーカルやギターの音を何度も重ねては一つにまとめる「バウンス」という作業を繰り返しました 。この作業はテープを劣化させ、音に歪みを生じさせましたが、彼らはその歪みをも意図的に取り込み、ドラムの音などに新たな「トレードマーク」のサウンドを生み出したのです 。また、ブライアン・メイの自作ギター「レッド・スペシャル」と多重録音を駆使した「ギター・オーケストレーション」も、彼らのサウンドを唯一無二のものにしました 。
これは、技術的な制約が創造性を刺激し、偶然の産物が革新的なサウンドを生み出すという、音楽制作の奥深い真実を物語っています。ちなみに、フレディは「愛という名の欲望」をバスルームで作り上げたという逸話も残されています 。
クイーンの作品は、日本でも圧倒的な人気を誇ります。ベストアルバム『Queen Jewels ~Very Best of Queen~』は日本のオリコンチャートで1位を獲得し 、彼らの時代を超えた普遍的な人気を示しています。



【筆者コメント】 フレディのあの高音と壮大なサウンドは、一体どうやって生まれたのでしょうか?『ボヘミアン・ラプソディ』に代表される彼らの音楽は、技術的な制約があったからこそ、それを超えるべく創造性が刺激され、唯一無二の芸術へと昇華されたのです。
2.3. 社会の憤りを代弁、ザ・クラッシュ
パンク・ロックの第一人者として、ザ・セックス・ピストルズとともに英国パンク・ムーブメントを牽引したのがザ・クラッシュです 。彼らは1976年に結成され、反体制的な姿勢だけでなく、人種差別や社会の貧困といった現実的な問題を鋭く批判する歌詞で、若者たちの代弁者となりました 。1976年のノッティング・ヒル暴動に参加したメンバーが書いたデビュー・シングル「White Riot」は、白人層の無関心を批判し、特権を持つ人々に弱者のために立ち上がるよう呼びかける、まさに「魂の叫び」でした。
彼らは、時代と共に音楽性を進化させていったことも特徴です。パンクを基盤としながらも、レゲエ、ダブ、ファンク、ジャズ、ヒップホップといった多様なジャンルを貪欲に取り入れました。特に『London Calling』(1979)は、彼らの音楽的実験の集大成であり、その後の音楽シーンに大きな影響を与えました。彼らはまた、レコード会社と戦い、アルバムやライブチケット、グッズの価格を低く抑えることで、自分たちの理想を守り抜きました。この資本主義システムの中で妥協せずに戦った姿勢は、彼らが「The Only Band That Matters(唯一重要なバンド)」と称された理由を物語っています。
第三章:ブリットポップ・ムーヴメント(1990年代)
1990年代に入ると、英国では音楽シーンの停滞が叫ばれ、アメリカを中心としたグランジロックが主流を占めていました。しかし、この停滞感は、英国独自の文化を再興しようとする「ブリットポップ」という一大ムーブメントを引き起こします。このムーブメントは、当時の英国社会が抱えていた経済的・社会的な閉塞感と密接に結びついていました。
3.1. 労働者階級の代表者、オアシス
オアシスは、ギャラガー兄弟(ノエルとリアム)を中心に1991年にマンチェスターで結成されました 。彼らの音楽はビートルズから影響を受けたメロディックなギターロックで、米国への対抗軸を築き、ブリットポップの代名詞的存在となりました。
1995年にリリースされたセカンドアルバム『(What’s The Story) Morning Glory?』は、英国史上5番目に売れたアルバムとなり、その中に収録された「Wonderwall」「Don’t Look Back in Anger」は、時代を超えたアンセムとして今も愛されています。
この時期、英国では「ブラー vs オアシス」という対立がメディアによって盛んに煽られ、社会現象となりました 。この対立は、音楽性の違い(知的なブラー vs 魂のオアシス )だけでなく、当時の英国社会が抱える階級意識の代理戦争という側面を持っていました。ロンドンの中流階級出身のブラーに対し 、オアシスは北部マンチェスターの労働者階級を代表する存在でした。
サッチャー政権下で進んだ市場主義と貧富の格差拡大に対する若者の不満が、この「戦争」に投影されたのです。ノエル・ギャラガーが「賃貸に住んで、ピザ1枚買う金もなかった」と語るように、彼らの音楽は労働者階級の生活の悲哀と、そこから抜け出そうとする希望を代弁していました。この階級間の緊張感こそが、ブリットポップを単なる音楽ブームを超えた文化的事件へと押し上げました。
ブリットポップ戦争 シングル対決
バンド名 | シングル名 | リリース日 | 初週売上 |
ブラー | 「Country House」 | 1995年8月14日 | 27万4千枚 |
オアシス | 「Roll With It」 | 1995年8月14日 | 21万6千枚 |
このシングル対決では、ブラーが勝利したものの、その後のアルバム対決ではオアシスの『(What’s The Story) Morning Glory?』が圧倒的な売上を記録し、最終的な勝利はオアシスに軍配が上がったとされています 。



【筆者コメント】 オアシスの歌が、なぜあれほどまでに多くの人の心を掴んだのか。それは彼らが、当時の英国の若者たちが抱えていた不満や希望を、ストレートな言葉とメロディで代弁してくれたからです。彼らの音楽には、労働者階級の誇りと、底辺から這い上がろうとする強烈なエネルギーが宿っていました。
3.2. 孤高の実験者、レディオヘッド
ブリットポップの喧騒の裏で、独自の世界を切り拓いていたのがレディオヘッドです。1985年に前身バンドを結成した彼らは、デビュー曲「Creep」が世界的なヒットとなるも、当初は名門校出身という背景から英国メディアに冷遇され、国内チャートでは75位に留まりました。この初期の冷遇は、彼らをブリットポップという枠組みから解放し、より普遍的で実験的な音楽へと向かわせる一因となりました。
1997年、ブリットポップが終焉に向かう時期にリリースされたサードアルバム『OK Computer』は、ロックの常識を覆す金字塔として、全世界で700万枚以上を売り上げました。この作品は、ポスト・サッチャー時代の社会的不安やテクノロジーへの懐疑をテーマにしており 、その内容はトム・ヨーク自身の内面的な苦悩を映し出しています。このアルバムの成功後、彼らはあえて商業的な路線を捨て、「商業的自殺」とまで評された実験的な作品『Kid A』(2000)をリリースします 。このアルバムはロック要素を排除し、エレクトロニカや現代音楽に大きく傾倒したものでしたが、その芸術性は高く評価され、後の音楽シーンに大きな影響を与えました。
レディオヘッドのこの決断は、アーティストとしての誠実さを追求する孤高の姿勢を示すものであり、音楽を産業の一部と見なす従来の価値観への痛烈なアンチテーゼでもありました。彼らの飽くなき探求心は、2007年のアルバム『In Rainbows』で「ダウンロード販売の値段を買い手が自由に決められる」という「投げ銭システム」を導入するという歴史的な出来事へと繋がっていきます。これは、音楽の「価値」をアーティストとリスナーが共に問い直す、新たなビジネスモデルの可能性を示唆するものでした。



【筆者コメント】 『OK Computer』が描いたテクノロジーが支配する世界のディストピアは、私たちの今そのものだったのかもしれません。彼らは、時代の空気を敏感に捉え、それを音楽で表現する孤高の芸術家でした。商業的な成功を捨ててでも、自分たちの信じる音楽を追求する姿勢は、多くのアーティストに勇気を与えたことでしょう。
3.3. マンチェスターの憂鬱な叙情詩人、ザ・スミス
1982年にマンチェスターで結成されたザ・スミスは、モリッシー(ボーカル)、ジョニー・マー(ギター)らを中心としたインディー・ロックバンドです 。彼らは、当時の主流だったシンセサイザー中心のニュー・ウェイヴとは一線を画し、ギター、ベース、ドラムを基調としたサウンドを確立しました 。ジョニー・マーの織りなす繊細で叙情的なギター・メロディと、モリッシーの独特なボーカル・スタイルは、多くの若者の心を掴みました 。
彼らの音楽は、社会問題をテーマにした歌詞も特徴的でした。モリッシーの鋭い社会批評は、多くのファンから支持されました 。デビュー・シングル「Hand in Glove」はアンダーグラウンド・シーンでヒットし、続く「This Charming Man」や「What Difference Does It Make?」といったシングルは、全英チャートの上位にランクインしました 。彼らは、インディーズ・レーベル「ラフ・トレード」と契約し、主流の商業主義に迎合することなく成功を収めました。
第四章:多様なジャンルの融合と新たな時代の幕開け(2000年代以降)
4.1. シェフィールドのロックバンド、アークティック・モンキーズ
アークティック・モンキーズは、2006年にデビュー・アルバム『Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not』をリリースし、UKロック・シーンに衝撃を与えました 。彼らは、シェフィールドの労働者階級の日常や若者文化をリアルに描き、その独自のサウンドで「ガレージロック・リバイバル」と呼ばれる潮流を牽引しました 。
彼らのデビュー・アルバムは、UKチャート史上最速で売れたデビュー・アルバムとなり、当時のインディー・ロックのサウンドを決定づけるものとなりました 。その後も、彼らはアルバムごとに音楽性を進化させ、ガレージロック・バンドに留まらない多様なサウンドを追求し続けました 。2013年のアルバム『AM』では、ブラック・ミュージックやR&B、ヒップホップなどの要素を取り入れ、全世界的な成功を収めました。
4.2. 全世界を魅了するスタジアム・ロックの王者、コールドプレイ
コールドプレイは、1998年に結成されたバンドで、2000年代以降の英国を代表するバンドとして、世界中で絶大な人気を誇ります。彼らは、デビュー・アルバム『Parachutes』(2000)で大きな成功を収め、以降も数々のヒット作を生み出してきました。彼らの音楽は、壮大で感動的なサウンドと、世代を超えて共感を呼ぶアンセム的な楽曲が特徴です。
彼らは音楽活動だけでなく、先進的なプロモーション戦略でも注目を集めました。特に初期のインターネットを駆使したマーケティングは画期的であり、世界中の新しいファンにリーチするきっかけとなりました 。さらに、彼らはライブツアーでも常に新しい試みに挑戦し、その壮観なライブ・パフォーマンスは世界中で高い評価を得ています 。2024年には、アルバム『Moon Music』が英国のストリーミング市場を11%成長させ、またサステナブルなレコードの需要を牽引するなど、彼らは常に音楽業界に大きな影響を与え続けています。
まとめ:英国ロックの遺伝子、そして未来へ
英国ロックの歴史をたどる旅は、ビートルズの革新から始まり、ザ・フーとザ・クラッシュの破壊的なエネルギー、レッド・ツェッペリンとクイーンの様式美、そしてオアシス、レディオヘッド、ザ・スミスの反骨精神へと繋がっていきました。それぞれの時代を彩ったバンドたちは、異なる音楽性やスタイルを持っていましたが、そこには共通の「遺伝子」を見出すことができます。それは、外部からの影響を貪欲に吸収する柔軟性、社会や時代の空気を鋭く反映する批評性、そして常に新しい表現を求める飽くなき探求心です。
これらの物語は、決して過去のものではありません。コールドプレイ、アークティック・モンキーズ、ミューズといった2000年代以降のバンドもまた、先輩たちの革新的な精神を受け継ぎながら、独自のサウンドを追求し続けています。そして、若者文化や階級社会といった社会の動きが音楽に影響を与えるという構図は、時代が変わっても続いています。
英国ロックの音楽は、エンターテインメントではなく、その時代の空気、人々の感情、そして技術の進歩を映し出す鏡です。



【筆者コメント】 この記事をきっかけに、みなさんが英国ロックの作品を改めて聴き直し、そこに隠された物語やメッセージに触れることで、音楽の新たな深みを発見できることを願っています。
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